≪神様のお話し≫

■天照大御神様
太陽、光、慈愛、真実、秩序を象徴する最も尊い神様です。弟神の須佐之男命のあまりにも乱暴な行いを悲しまれた天照大御神が天岩戸にお隠れになったとき、世の中は光を失い闇の世界となり、作物も育たず、秩序も失われたといわれています。天照大御神は、現在の天皇様のご先祖であり、すべての国民の祖神(おやがみ)様として伊勢神宮(内宮)におまつりされております。

■天の岩戸開き
高天原にある天の岩戸に天照大御神がお隠れになってしまわれたために、高天原と中つ国から太陽の輝きが消え失せ、すっかり暗闇に覆われてしまいました。そのために神々の不満や怨差の声が聞こえ初め、たくさんのわざわいが起こり出しました。

「どうすれば天照大御神を岩戸からつれだすことができるだろうか」。非常招集令によって天の安の河原に八百万の神々があつまり、解決策をねるために、高天原会議を開くことになったのでございます。その席で『造化三神』の一人『たかみむすひ』の神の子で、高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神が名案を出しました。八百万の神々も満場一致でその意見に賛成し、さっそく準備が始まりました。

まず、太陽の使いの長鳴鳥を集めて、いっせいに「アサー」と鳴かし、また、高天原の堅い石を取り、くろがねを造り、ひとつ目の鍛冶職人あまつまら(天津麻羅)に鉄を打たせ、また、鏡職人いしこりどめ(伊斯許理度売)に命じて大きな『八尺鏡』を作らせ、また、玉造職人たまおや(玉祖)に命じ『八尺の勾玉のみすまるの珠飾り』を造り、また、あめのこやね(天児屋)、ふとだま(布刀玉)に命じて天の香久山のははかの木(朱桜の木)を燃やして鹿の肩骨を焼いて占いをし、また、天の香久山のさか木を根こそぎ掘り取って、その上の枝に『勾玉のみすまるの珠飾り』を取りつけ、中ほどに「八尺鏡」をかけ、下の枝に『白と青の幣』を垂らして、ふとだまが持ち、また、あめのこやねが天照大御神出現祈願の祝詞を唱え、また、あめの手力男が岩戸のわきに隠れ、天照大御神を誘い出す大宴会の準備は大わらわです。こうして、岩戸の前には八百万の神々が、わいわいがやがやと勢ぞろいされました。

そこへ登場してきたのが神々の人気者、あめのうずめ(天宇受売)でございました。天の香久山のひかげのかづらをたすきにかけ、まさきのかづらを髪飾りにし、魔よけの笹の葉を手に持っています。

そして、ステージがわりの大きなおけを伏せてその上に乗り、とんとんリズムをとりながら面白おかしく踊り始めました。おけは打楽器のように大きな音を鳴り響かせています。調子に乗ったあめのうずめは、しだいしだいに神がかり状態になり、踊り狂い出したのでございます。

乳は左へ右へ、上へ下へと揺れ動き、裾はめくれて女陰はあらわに見え隠れしました。日本初のストリップでございます。そのようすがとてもおかしく、神々はお腹をかかえてどっと笑ったのです。『咲ひ』と踊りは、邪気を払う呪術のひとつでもあるのです。そのどよめきは大音響となり高天原中に響きわたりました。そればかりか、あめのうずめにつられて八百万の神々も立ち上がり、思い思い体をゆすって踊り出し、岩戸の前のにぎやかさは今やたけなわです。

「世の中は暗く嘆いているはずなのに、どうして外はにぎやかに笑い踊っているのだろうか?」

岩戸の中の天照大御神は不思議に思い、そっと戸を細めに開けました。それを見たあめのうずめは、すかさず、「あなたさまよりも尊い神がおられるので、うれしくなって皆で遊んでいるのですよ」とくるくる舞い踊りながら答えました。そこへさっと、ふとだまとあめのこやねの二人が、いしこりどめの作った大きな鏡を差し出し、天照大御神の姿を映しました。天照大御神は、鏡に映ったのが自分だとは知らずに、もっとよく見ようと少しずつ岩戸から体をのりだされたのです。

外にもう一人のたいそうりっぱな神様がいることを不思議に思われた天照大御神は、岩戸からほんの少し体を乗り出しました。その瞬間、隠れていた手力男が天照大御神の手をつかみ、怪力でぐいと外にひっぱり出したのです。そして、すぐにふとだまが岩戸に『しめ縄』を張り、「これで二度とお隠れになることはできません」と岩戸の前に立ちふさがりました。

このとき、怪力の手力男が力まかせに岩戸を開けたので、その勢いで戸がはずれて下界に落ちてしまいました。はずれた戸の落ちたところが信州の戸隠山だといわれております。

高天原一の知恵者、思金(おもひかね)の神のはかりごとは、こんな風につつがなくとてもうまく運びました。このようなわけで高天原と中つ国に光がふりそそぎ、ふたたび明るくなったのでございます。神々は、太陽の神、天照大御神のすばらしさを前にもましてほめたたえました。

昔から、暗いときには楽しく笑い遊ぶことが最良の方法(笑う門には福きたる)だったのでございます。

お手柄のあめのうずめは、このとき以来、芸能の神、お神楽の元祖となりました。

また、しめ縄には「もう二度と太陽が隠れませんように」という願いが封じ込められているのです。新しい年の初めに太陽の復活を祝ってしめ飾りをする習慣は、こうして神代からずっと続き「今年も太陽の恵みをいっぱいいただけますように」という思いを込めて初日の出を拝むようになりました。



-古事記のものがたりより-








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