≪神様のお話し≫
■天孫降臨
国ゆずりの戦いに負けた健御名方神(たけみなかた)は、天つ神(あまつかみ)に国をゆずることを誓い、諏訪に閉じこもってしまいました。健御雷神(たけみかづち)は、得意顔で出雲にもどってくると、大国主(おおくにぬし)に、
「おまえの子どもたちは、天照大御神のおおせに従うと約束した。おまえの返事は」
と威圧的に聞いてきました。大国主は、もともと心がおおらかなので、
「子どもたちの申すとおり、この葦原(あしはら)の中つ国(なかつくに)は、おゆずりしましょう。そのかわり、わたしに、天照大御神が住んでいるようなりっぱな宮殿を造ってください。そして、天つ神の子孫が栄えていくのと同じように、わたしの子孫も絶えることのないようにしてください。その約束の印である『神の火』を燃やし続けてください。そうしてくださるなら、すみやかに隠居いたします。わたしの子である百八十の神々は、事代主(ことしろぬし)に仕えていますので天つ神にそむくことはないでしょう。」
このように、非暴力主義をつらぬいた大国主のおかげで全面戦争にならずに少しの小競り合いだけで国ゆずりに無事決着がついたのです。
建御雷(たけみかづち)の神が、大国主の願いを天照大御神に伝えますと、快くゆるされたので、さっそく出雲のたぎしというところに大国主のために宮殿(出雲大社)を造られました。出雲大社は、大社造りと呼ばれるりっぱな建物で、太くて大きなしめ縄が目を引きます。昔この社殿は高さが一六丈(四八m)もある、雲をつくような高層建築だったのでございます。
さて、新しい宮殿の前ではお祝いの宴がもよおされています。水門の神の子孫、くし八玉(やたま)の神が料理をつくり並べました。それが終わりますと、こんどは鵜(う)に化けて海底の粘土を取り、祭式に使う皿を作りました。
次にワカメの茎を刈って火きり臼(うす)を作り、ホンダワラの茎を刈って火きり杵(きね)を作り、聖なる『神の火』を起こし、そして、良い言霊(ことだま)のたくさん入っためでたい祝詞(のりと)を唱えて大国主(おおくにぬし)を祝福されました。
天つ神たちは大国主の子孫や文化を打ち壊してしまわずに大切に保存し、国つ神たちの伝統や習慣も伝えていきました。
こんな風にして大国主が治めていた中つ国(なかつくに)は、天つ神が治めることになりました。
天照大御神は、国ゆずりが無事に終わったことをたいそう喜び、もう一度我が子おしほみみを呼んで命じました。
「いま中つ国を平定したと報告があった。すぐにくだって豊葦原(とよあしはら)の水穂(みずほ)の国をおさめなさい。」
ところがおしほみみの命(みこと)が下界にいく準備をしていたとき、思金(おもひかね)の神の妹の、たくはたちぢ姫(栲幡千々姫)との間にちょうど二柱(ふたはしら)の子供が生まれました。天照国照彦火明の命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと、別名:にぎはやひのみこと)と日子番能邇邇芸の命(ひこほのににぎのみこと、別名:ににぎのみこと)です。
「新しく生まれた下の子、ににぎの命を行かせようと思いますがいかがでしょうか。」
「それは名案!新生の若々しい子を天降(あまくだ)らすことは、たいへん縁起のいいことです。」
天照大御神は、すぐに、ににぎの命を呼び、
「ににぎの命、そなたに豊葦原(とよあしはら)の水穂(みずほ)の国を治めることを申しつける。」
とあらためて命じられました。
このような次第で、孫のひこほのににぎの命が天降(あまくだ)ることとなりました。
ににぎとは、太陽の恵みを受けて稲穂がにぎにぎしく豊かにみのるという意味の名前でございます。また、ににぎの命はこの時まだ生まれたばかりの赤ん坊だったので、ふわふわのお布団(真床覆衾(まとこおうぶすま))に包まれていたということでございます。今も大嘗祭(だいじょうさい)では、真床覆衾(まとこおうぶすま)を真似てこの時の様子を再現する秘儀が伝わっています。
また一説によると、兄のにぎはやひの命は、十種(とくさ)の神宝(かむたから)を携えて大和の国の哮ケ峰(たけるがみね)に天降(あまくだ)られたというお話も伝わっています。
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-古事記のものがたりより-
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